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『ここに、建築は、可能か』は、東北大震災に寄って町全体が津波に飲み込まれてしまった陸前高田の町に「みんなの家」を建てるというプロジェクトに挑戦した4人の建築家チームの記録。

家族を失い、家を失い、思い出の品々を、憩いの場を失った人々。
避難所で助け合う時間の中で生まれた強い絆とコミュニティ。
仮設住宅が出来たことによる、そのコミュニティの喪失。
そんな状況が繰り返される状況のなかで必要とされる「建築」とはどんなものなのだろうか。
建築家は被災地に対して何をすることができるのだろうか。
たくさんの対話と議論から、建築家たちが「そこから建築が立ち上ってくる」体験をしていく物語です。

注目すべきは、建築家4人による共同作業である、ということ。ひとりの建築家が「じぶんはこう考える」「あの場所にはこれが必要だ」といって進めていくのではなく、被災地のその場所にその建築物がそのように必要であるその必要性を、設計段階から他者と共有しなければならない。だからこそ彼らは何百にも及ぶ模型を作っては議論を重ねるという手続きを踏み、実際に被災地に赴き対話を繰り返し、ときには挫折しそうになりつつ、そこに建築が立ち上がってくるまで戦い続けたのでしょう。いわば、単なる「個」を超えて、「作り手」であることも、「住み手」であることも超えて、おなじ主観を共有することは出来ないか、という戦い。あるいは主観を超えた共通主観をもって建築に向かう態度の戦いだったのではないか、そんな気がします。

このプロジェクトチームには、写真家の畠山直哉さんも参加しています。
彼の言葉も印象深く、ここに引用させてもらいます。

陸前高田の「みんなの家」のプロジェクトは、ほかの多くの復興支援活動が「医薬品」的な効能と即効性を目指していることと異なり、ひとつのディレンマを出発点として、建築に関する議論を開始しているところが特徴だと思います。そのディレンマとは、出来事の巨大な力のせいで、一人ひとりの異なる人生を送る人間たちが、被災者という集団に還元されてしまうことから生じるものです。このディレンマを、近代主義が抱えるそれを類推的に思考するとき、そこには「建築」を考えるための、現代的なスペースが生まれてきます。
たいへんな状況に置かれてしまった人々に活力を与えるための、でもたんなる「医薬品」を超えた何か。「集団」を視野に入れながら「個」を決してないがしろにしない態度。それは実現困難なものにも感じられますが、よく考えれば、芸術やデザインが永い間、制作の最終目的として追い求めてきたものではなかったでしょうか。いま被災地の人々が「なくて寂しい」と感じているのは、このような、懐疑や批判や謎さえ含んだ、真に知性的な表現だと思います。(「陸前高田に建築は可能か」畠山直哉 より抜粋)