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とつぜんですが、山形県天童市においでください。天童木工という家具メーカーのショールームがおすすめです。ここでたくさんの家具に触れ、その技術の概要を知り、そして束の間でもいいので美しい椅子たちに腰掛けてください。気もちいいです。

柳宗理デザインのバタフライスツールや、長大作の低座イスなど、一流のデザイナーとのコラボによる有名な家具も数多く作ってきたメーカーなので、インテリアが大好きな人でこのメーカーを知らない人はいないだろうけど、地元に生まれ育っておきながら僕自身はあまりそういうものに明るくない人間だったので高校生の頃まではぜんぜん知らなかったわけです。ということで、ここでもう一度、天童木工についておさらいをしておきたいと思います。

天童木工という会社はもともと、1940年(昭和15年)に旧天童町とその周辺10カ村の大工さん・建具屋さん・指物(さしもの)屋さんといった業者が集って作った組合として始まりました。1940年というのは世界的に不穏な時代で、ドイツをヒトラー政権が支配し、日本もドイツ・イタリアと軍事同盟を結ぶなどしていた頃。世界中で戦争が勃発していたような時代です。そういうわけでこの組合は最初の頃、爆薬箱などの軍需品づくりをしていたということです。軍事飛行機のおとり機を木で作ったりもしていたといいます。1945年の終戦の後は、戸棚やちゃぶ台などの家具を製造しはじめ、1947年頃からは成形合板による家具の試作を開始。1948年には株式会社化し、一般人向けの家具に注力しはじめます。1950年に東京高島屋で展示会を開催、ここで展示した成形合板(プライウッド)の家具が注目を集めるようになったそうです。天童木工の名作家具が生まれるのはまさにこの1950年代〜1960年代のこと。1955年に〈リングスツール〉。56年に柳宗理デザインによる〈バラフライスツール〉を制作。59年には旅館の定番である〈座卓〉。60年には〈プライチェア〉〈低座イス〉、61年〈柏戸イス〉63年〈座イス〉などなど、現代にも残る数々の名作が誕生しております。

では、なぜ、天童木工がこれほどまでに名作を生み出し、素晴らしいメーカーとなれたのか。そのカギを握るのは技術のようです。天童木工の『TENDO CLASSICS』というカタログのプロローグに、こんなことが書いてありました。

時を超えて愛される「天童クラシックス」の作品群は、天童木工と成形合板との出会いなくして生まれることはなかったでしょう。成形合板は、デザイナーの自由なイメージや斬新なアイデアを想いどおりに実現するために不可欠な技術として、天童木工とデザイナーとの強力なコラボレーションを生み出しました。さらに、その数々のコラボレーションを通して、使い心地の良さと美しさを備えた家具を量産する技術が育ちました。公共建築等のコントラクト製品から、ホームユースの家具まで。天童木工の歴史そのものと言える成形合板を通じて、芸術でもあり、同時に優れた道具でもある作品が誕生したのです。


ショールームには、プライウッドの技術の素晴らしさを証明するいろんな「証拠」が展示されています。ぜひ、天童木工ショールームにおいでください。ぼくももう一度、勉強しにいきたいと思っています。