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〈消しゴムの鬼〉などという称号を手にすることのできる人間が、この世に何人いるだろうか。そんな人間はいるはずがないのである。いるとしたらそれは奇跡である。

ナンシー関と棟方志功は、青森が生んだ稀代の彫刻家である。そのことを改めて教えてくれたのは、2015年5月仙台パルコにて開催された〈顔面遊園地〜ナンシー関 消しゴムの鬼〜見えるものしか見ない。そして見破る。ましてや彫る〉と題された展覧会。消しゴムから広がる広大な宇宙の大きさに圧倒された。消しゴム上に施された精緻な仕事ぶりにも驚かされたが、本質をえぐる快感に満ちたカミソリのような文章の数々にも驚かされた。まったく素晴らしい空間だった。東北の地からこのような鋭い刃を持った芸術家が生まれたということに、東北人として誇りに思わずにはいられない。

母親に対する、恥ずかしいを中心としてうず巻く筆舌に尽し難い複雑な気持ち。それが『キッツい』という感情であることを啓蒙してくれたのもダウンタウンである。我々非関西人はダウンタウンによって『キッツい』という新しい概念を教えられた
最後にひとつ、私がことあるごとに提唱し、口が酸っぱくなるほど同意を求めているネタがある。それは吉川晃司と南伸坊のそっくり説。《略》間にだれかをはさんでグラデーションをつくればもっと解ってもらえるとは思うのだが。なかなかうまく思いつかない。こういった顔に関するネタでは大権威である南伸坊さんに自分で解決していただきたくもある。オレと吉川の間にあるのはだれだ、と。 
しかし、私は負けはしたもののこの有吉の強さとその試合ぶりに興味をひかれた。あんなに童顔なのに、どうしてふてぶてしさしか印象に残らないのか。ユーラシア大陸横断も、今となってドロンズや朋友と比べてみると、特に有吉はひたむきさに欠けるというか(今思えば、であるが)没頭の度合いというか、体温というかが低い感じだった。それは、この生身の人間としての強さのせいだったのかもしれない。テレビという顔を強調する装置のせいで、我々は有吉という人間を、間違えて解釈しようとしていたのかもしれない。有吉は何故かふてぶてしく見える、のではなくて生来ふてぶてしいのだ。
「二人のバカのベクトルは、どこまでが重なっていてどこからが枝分かれしているのか。バカというコトバを何の注釈もつけずに冠するのはいささか失礼ではあるが、この二人の屈託のなさ、邪気のなさ、ある種の透明感を表すには『バカ』という言葉しか」「一茂はバカをリアクションで見せるが、修造はそのバカをファーストアクションから繰り出す。自覚の度合いが大きいのは意外にも修造。でもその『バカやってる自分』を『これが修造スタイル』と読み替えての自覚だが」。

じつに感動的である。